庭に咲く雪柳が風に吹かれ、ゆら、とその花房を揺らしている。
開け放った窓からはその白い花の芳香が漂ってくる。
暖かすぎず、寒すぎず。
丁度よい塩梅の空気に身を委ねながら、ぼんやりと口から煙を吐いた。

今日は仕事らしい仕事は無い。久々の休みであった。
一日をのらくらと過ごして、今はもう申半刻を過ぎたあたりだ。

表の引き戸を叩く音がする。
今日は来客の予定は無いはずだ。心当たりは無くも無いが。おそらく韓国かロシアであろう。
この二人、特に前者は来訪前に連絡があるほうが珍しい。
普段ならそれでも直ぐに玄関へ向かったろうが、珍しくも今日は居留守を使う事にした。
どうせたいした用ではあるまいし、初春の心地良さを満喫している今、出来れば会いたくない人物だ。
静かに、物音一つ立てぬまま、ぷかりとまた煙を吐く。

何度か叩く音の後、引き戸の開く音がした。
まあ、予想できたが。二人とも、素直に帰る様な愁傷な性格ではない。
板張りに響く足音は落ち着いたものだ。ならばロシアか。もう一人ならおそらく走る。
それにしては床の軋みが少し小さい気がする。忍び足でもしているのだろうか。想像すると少し笑える。

とはいえ未だ戦の中、敵国の一人が事前の連絡無しに来たのだ。
今はまだ激化の動きが無い相手とは言え、油断しすぎるのも拙いだろう。
だらしなく組んだ胡座をといて着物の乱れを軽く直し、片手で刀を引き寄せる。

煙管を灰吹のふちにかつ、と当てたところで襖が開いた。

「…気付きませんで、申し訳ありま…え?」

愛想の無い声になってしまった事を少々恥じながら顔を上げた。そこで初めて来訪者を見たわけだが、立っていたのはまったく思いもしない相手であった。手に持った煙管を煙草盆に置くのも忘れて固まる。相手も、煙い部屋にかはたまたらしくない口調にか、何であれ驚いたようである。

「す、すまん…玄関が開いていたから、勝手に上がったんだが…。」

青い目が大きく開いている。

来訪者はドイツであった。

「…え、あ、それは構いませんが…。」
やっと煙管を離して答え、座布団を勧める。申し訳なさそうに礼を言う彼を見ながら、しかし未だ混乱は解けない。
「今日、もしかしてお約束しておりましたか…?」
もし忘れていたのだとすれば何と失礼な事か。まさか会議の一つでもすっぽかしていたのだとしたら、それこそ土下座で詫びねばなるまい。大げさだが、いわば血の気の引く思いで恐る恐る尋ねると、彼は焦ったように「いや、ちがう!」と否定した。
「その、書類を届けに来ただけだ。」
そう言う彼の手には、なるほど茶色い封筒が二、三見える。
「事前に連絡すべきだったな。すまん。」
「そんな事…こちらこそ、お時間をとらせまして…。」
西欧からここまで、お世辞にも近いとはいえない。わざわざ届けてくれた事に、感謝より先に申し訳なさを感じる。
「けれど言って下されば、此方からお伺いさせていただきますよ。」
「いや、会議の度に日本には遠くから来てもらっているからな。」
「そのような、お気になさらずとも。」
「駄目だ。」
同盟国の負担は平等でなければならない、となんとも彼らしい返事をしながら封筒を差し出す。それは勿論本心であろうが、彼なりの気遣いであることも十分に分かっているので「有難うございます。」と礼を言ってそれを受け取った。

生真面目な彼が、連絡無しにここまで届けてきた書類である。恐らく急ぐ類であろう。
「申し訳ありません、直ぐに拝見いたしますので少々お待ちを…」
封をしてある糸を巻き取りながら言うと、しかし彼は再び慌ててそれを制した。
「急ぎの書類じゃない。後で構わない。」
「え?」
試しに一枚取り出してみれば、確かにそう重要な書類ではない。殆ど形式上必要なだけのものである。これなら後回しでも問題は無いだろうが、なら何故わざわざ届けてくれたのだろうか。それこそ次の会議の時でも間に合うだろう。まさか負担の平等云々の為に、不必要な時間を割くほど暇でもあるまいし、大体彼の合理主義がそれを許すわけが無い。疑問に思いながら、しかし届けてくれた事も事実であるし、何故と問うのも気が引けた。結局黙っていると彼は深く溜め息をつき、「すまない。」と謝った。
「休んでいたのに、邪魔をしたな。」
言って自嘲気味に笑う目の、光の無さ。

ああ、何となく分かったかもしれない。

「用事はそれだけだ。本当にすまないな。」
そう言い、然したる間も座っていない座布団から立って踵を返す彼を「ドイツさん。」と、ゆったり引き止める。
「もし宜しければ、お茶でもいかがです。折角いらしたのですから。」
「…いや、急に来てそれは迷惑だろう。」
そんな事は、と否定したが、彼は頑として譲らない。融通の利かなさに呆れつつも可愛らしいと思ってしまった。とはいえ引き止めることは不可能になったようだ。どうしたものか。少し考えて思いつく。
「では帰りがてら、散歩でもいかがでしょう。」
ご一緒しますよ、と笑って彼を見ると、なんとも難しい顔をしていた。考えている事は分かりやすいが。
「丁度、行こうと思ってたんですよ。」
その一言に、少し眉間の皺が減る。
「…あ、もしかしてお時間がありませんでしょうか?」
「…いや、それは問題ないが…。」
「でしたら、ご迷惑でなければ是非。」


最後の一押しに、流石の頑固者も折れた。






外に出ると空は薄い夕色に染まり始めていた。
「日が長くなりましたね。」
子供達が傍を走っていった。鬼ごっこだろうか。行く先々で子らの駆ける声が聞こえる。
「今年はまだ、桜が咲いていないんですよ。」
「例年より遅いのか。」
「そうですね。いつもなら五分は咲いている頃ですが。」
惜しかったですね、そう言って笑いかけると、そうだな、と彼も小さく笑った。
道の端で、少女らがお手玉をしている。私達を見ると玉を投げるのをやめ、「こんにちは」と挨拶をくれた。
「はい、こんにちは。もうそろそろお家に帰りましょうね。」
はぁい、と返事をする子らの目は、やはりというか隣の彼を見つめている。
「異人さん?」
輪の中で一番小さな子…六つ程だろうか。大きな目を好奇心に光らせて話しかけてきた。
「ドイツさんですよ。」
「どいつさん?」
「知ってる、日本さんに味方してくれるお国!」
おさげを揺らして笑いながら、違う子が元気に答えた。それを聞くと少女らは嬉しそうに頭を下げ、初めまして、ありがとう、と口にする。言われた本人はああ、だの、うむ、だの戸惑うばかりの返事で、見ていて微笑ましい。
「さぁさ、きっともうすぐご飯ですよ。」
「はぁい。」
「どいつさん、さようなら。」
その一言に、子らは口々に別れを告げて帰って行った。二人でそれを見送り、また歩き出す。
「…すいません、外国の方は珍しいのですよ。」
「構わない…その、悪い気は、しない。」
言う彼の表情は少々の照れ、そしてなんとも優しかった。


「…ああ、桜は見れませんが、こちらは見頃ですね。」
「……これは…。」
つい、と視線を流した先は田圃だ。本来なら稲の植わる土地は、今ぽつぽつと咲く蓮華草に彩られている。
「ここは、花畑なのか。」
「いいえ。蓮華は肥料になるのですよ。だから稲を駆った後、田に種をまくんです。稲を植える前にそのまま鋤きこみます。」
隣から返事は無く、彼はじっと黙って蓮華草を見つめていた。

風に揺れてさやさやと揺れる紫の花。日はゆったりと落ち、足元から長い影が伸びる。
先ほどまで聞こえていた子らの声は、いつの間にかぱったりと消えた。代わりにかあ、と鴉が鳴く。
道端のお地蔵様に供えられた線香の煙が静かにのびる。首に蓮華の花輪が掛かっていた。
遠い山影は暗く、しかしその際は燃えるようにくっきりとした紅。
忘れていったのだろうか。足元に小さな鞠が転がっていた。

「ドイツさん?」
彼はすい、としゃがんで鞠を掴んだ。立ち上がり、手に持つそれをじっと見つめて彼は言った。

「…綺麗だな。」

その言葉に、彼の顔に、心からの喜びを感じる。









夕日に光る双玉の蒼は、今はもう、凪いだ海のように穏やかだった。











ようするにドイツ疲れてた話です。端的過ぎる。
ホントはもっと長くてもっと戦争の暗さがあってようはシリアスでした。書いてる内に悲しくなってきたのでやめた。
蓮華はウチの近所の田圃郡で咲き誇ってます。今。
…都道府県的にはそう田舎ではないんだが…