櫻の樹の下には、屍體が埋まっている。
「…えらく、物騒だな。」
春の麗かな日差しの中、彼の国は眉根を顰めて言った。
紺碧の瞳は桜から、背後の私にその視線を移す。
「とある小説の一節です。」
畳の上の幸せそうな眠りの邪魔にならぬよう、足音をころして近づく。冷えやすい木造家屋も春の温もりの恩恵を受けている。毛布はいらないだろう。
石を組み、白砂をまいた庭で悠然と咲き誇る桜に、家主ながら思わず見入った。
手にした木の盆の重みで我に返り、「どうぞ。」と遅ればせながら茶を勧める。
「ああ、すまない。」
言いながら碗を受け取ると、躊躇することなく口を付ける。
昔、目の前の彼と同じ西欧の島国に初めて茶を勧めたときには、碗の中を見たとたん「これは飲み物なのか。」とあんまりな質問をされたものだが。思い出して小さく笑うと、なんだ、という風に目線が向いていた。微笑んで首を横に振ると、不思議な表情をしてもう一口茶をすする。どうやら気に入ったらしい。
「今年の新茶です。」
「新茶…」
聞いた事の無い言葉に再び眉根を顰める。彼はこの表情を作る事が非常に多い。
「春に摘まれるお茶の事です。甘味があって美味しいんですよ。」
「成る程。」
確かに、と言わんばかりに深く頷きながら、また一口。
賛美の言葉を滅多に出さぬ彼の口だが、その分態度で示されるものが大きい。
そしてそれは私にとって、ひどく心地良いものである。
(言霊の宿らぬ幾万の賛辞より、ずっと素直で心打たれるではないか。)
気付かれぬように微笑み、年若い彼の国を見つめる。
年上である自分より大きな体に、輝く黄金の髪。陶磁器のように、いっそ無機質な白い肌。緩やかな日の光の中で、彼は紛うことなく美しかった。
とりあえず、今日は土産に茶葉を包もう。
縁側に腰掛け、何とは無しに庭を眺める。
隣で同じように腰掛けている――彼は「正座」という座り方であるが――家主を見ると、彼にしては珍しく「客」を放って桜に見入っていた。
漆黒の髪が風に揺れている。
「…丁度、見頃に来られました。」
桜に目をやったまま、いきなり話しかけられる。如何せん俺は桜でなく彼を見ていたので、慌てて目線を戻して「そ、そうか。」と少々情けない返事を返した。
再び桜を見上げる。風が吹くたびに薄桃の花びらが舞い散っていた。
(見頃…か。)
他の、例えば西欧の国ならば花の散り際を見頃とは賞さないだろう。自分とて、散り落ちて枯れた矢車菊を美しいとは思わない。だが目の前で風に散る桜は、確かに美しかった。
彩の少ない庭の中で圧倒的な存在感を持つ花は、しかしたった一陣の風で優美に舞い散る。
「儚い、な。」
小さな声で呟くと、隣で衣擦れの音がした。顔を向けると少し驚いたように、二対の黒曜石がこちらを見つめている。
「…願わくは」
またも彼にしては珍しく、目線をそらすことなく何かを呟く。
「願わくは 花の下にて 春死なん。」
耳障りのいい言葉の列を発すると、目をそっと俺から外して桜を見やる。
「そうですね。此れほど雄大で、美しい花も散り逝くのです。
私達はその儚い美しさに、恋焦がれているのかもしれません。」
彼の微笑みはいつもの静かなそれではなく、どこか遠くを見つめているようだった。
時折垣間見えるこの様な表情に、やはり彼は長い時を生きた国なのだと思い知らされる。
そしてこんな時はいつも、何故かはがゆくなるのだ。
日本は縁側から庭に足を下ろした。敷き詰めた白砂が踏まれて音を立てた。
歩を進める先にあるのは桜。太い幹の根元に立ち、晴天の空に咲き誇る花を見上げる。
「ドイツさん。」
呼びかける声に現実へと戻され、ドイツは自分がその風景に見惚れていた事に気付いた。
落ち着いた色調の着物は庭に溶け込み、それ故に日本の存在がひどく儚く思える。
日本は、桜を見上げたまま呟く。
「本当に、桜の下で逝けたなら、いったいどれほど幸せでしょう。」
その表情には悲しみも苦しみも無く、それ故に恐ろしく気高い微笑み。
櫻の樹の下には、屍體が埋まっている。
腹の底から湧き上がる暗澹とした不安は、一瞬で俺の全身を蝕んだ。
白砂を乱暴に踏みしめて駆ける足も、伸ばした手も、ほとんど無意識だった。小さな体は然したる抵抗も無いまま、この腕に収まる。
(ああ。)
(美しいのは、気高いままに逝くからだ。)
醜く萎れその身が朽ちる時を待たず、桜は自ら儚く逝くのだ。だからきっと、美しいのだ。
そう、屍埋まる桜の根元、儚くも気高く笑う日本は、怖いほどに美しかった。
戸惑う声が小さく聞こえたが、しかしいっそう力を込めてその身を掻き抱いた。暗い感情は消えない。むしろ温もりの小ささに不安がぬたりと増していく。
「…いくな。」
掠れた声で呟かれた言葉は短い懇願で、あまりに珍しい彼の姿に今の己の状況も忘れる。肩を抱き、腰にまわす両腕が解かれる様子も無く、まるで縋り付くように抱きしめられた。
親の手を見失った幼子の様。
(ああ。)
(彼の国は、桜にのまれたのだ。)
咲き誇ったまま散る桜は、我らには壮大すぎる。儚さも美しさも、全て内包して逝くのだ。
幾百の年月を生きるこの身さえ、吹雪く桜の前にはあまりに小さい。
ほんの少し身じろいで見るが、抱きつく腕の力を強めただけだった。真剣な彼に不謹慎であろうが小さく笑う。不安など感じる必要がどこにあろうか。
「いきませんよ。」
きっぱりと言い切る言葉は、優しくも力強かった。
「私はまだ、屍になる気はありませんから。」
ドイツの腕の中で困ったように笑いながら、日本はそうおどける。珍しい冗談めいた口調に、ドイツは少し日本を見つめると腕を緩めた。
「…その、すまん。」
「いえいえ。」
お気になさらず、といつもの気遣いの言葉を掛けて、日本は縁側のほうへ戻っていった。
櫻の樹の下には、屍體が埋まっている。
(…馬鹿らしい。)
俺は桜を見上げ、自嘲する。
縁側に目をやると日本が新しく茶を入れている。どうやらイタリアも起きたらしい。そういえばいたな、といつもの自分なら考えられないような事を思う。
(できれば茶葉を譲ってもらおうか。)
(あの茶は本当に旨かった。)
不安は嘘のように消えていた。
TOYs-DreamVision.comのKey1様に6000Hit祝として差し上げた文。
祝になっているのか、むしろ嫌がらせじゃあるまいか。
何で私の書く日本はこうも落ち着き払った年寄りになるんだ。そういうの好きだからです可愛くなくてスイマセン。
Key1様、6000Hitおめでとう御座いました。